森巖寺
浄土宗 八幡山浄光院 森巖寺
開基である結城秀康公は、その誕生から没するまでの三十四年間波乱万丈な生涯を送りました。母於万の方は、家康公の正室築山殿の奥女中でありました。秀康公を身籠ると築山殿を気づかい重臣の本多重次の屋敷に匿われ、そこで秀康公を出産いたしました。家康公の次男として誕生しながら、父との初対面は三歳の時。不憫に思った兄信康公の取計らいによるものでした。数年後その兄が亡くなり、本来であれば秀康公が徳川の後継者となるはずでしたが、十歳で豊臣秀吉の下へ養子に出されました。これは小牧・長久手の戦の後の秀吉・家康公間の和解条件でありました。幼少の頃より文武に優れた秀康公は、養父秀吉の評価も高く、若年でありながら武勇に名を馳せました。秀吉に実子が誕生すると、婚姻により下総国結城家の家督を継ぎ、実父家康公の下へと戻ることになりました。
森巖寺の趣のある山門をくぐると境内には緑風が流れ、左手に淡島神社、眼前には樹齢400年の大イチョウがより歴史を感じさせ、奥には本堂が唯美な姿を見せます。本堂横の通路を進むと墓地が大きく広がり、バリアフリー設計の通路や永代供養墓など新たな区画環境が整備されます。