妙祐寺
浄土真宗本願寺派・天護山妙祐寺
彩石とは樹木葬(2023年 グッドデザイン賞を受賞)でご縁が深い妙祐寺様は、弘安9年(1266年)一遍上人の建立ですが当時は時宗でした。しばらくは天護山円証寺と称していましたが、大永年間(1521~27年)学恩という住職の時に兵火の災により途絶えてしまいました。寛永2年(1625年)浄土真宗の僧了頓が渋谷の宮益坂の土中から阿弥陀仏像を発見し、それをご本尊として寺を再建して満歳山額恩寺と称しました。寺では了頓を中興の開山とし、後に寺号を妙祐寺と改めて山号も天護山にもどしました。その後了頓は8代将軍吉宗の習字の師となり、その縁で現在、寺には当時吉宗筆の墨絵などが残されています。また将軍や諸大名が駒場野鷹狩の際などには必ず立ち寄るようになったと言われています。昭和12年に15代住職円乗師の時に地下鉄銀座線敷設工事により、渋谷から現在地に墓地の一部を移転しました。その後太平洋戦争の空襲を受けて昭和20年5月25日に全堂を消失しました。戦後の第一次都市計画のために渋谷の地で復興は出来ずに、昭和23~24年にかけて烏山の地に移転して現在に至ります。
「世田谷 自然の杜」は現代社会のニーズに沿った、灯籠をモチーフにした、凛とした樹木葬。(2023年度、グッドデザイン賞を受賞)