わたしたち彩石は、ご先祖様のご供養をこころを込めてお手伝いいたします。

国泰寺派 全生庵

 

国泰寺派 全生庵
国泰寺派 全生庵
全生庵は、明治16年(1883年)山岡鐵舟居士が幕末明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために、富山国泰寺より越叟禅師を迎えて開山とし建立された寺です。
寺名の由来は、明治7年、居士が、鎌倉建長寺の開山蘭渓道隆禅師自筆の全生庵という額を人から貰い、これを書斎にかけておられたことによります。
居士は、明治13年一寺建立を発願し寺域を現在地に選定したところ、計らずもこの地が700年前、道隆禅師が鎌倉に向かう途中、漂流し九死に一生を得て全生庵という庵室を
建て閑居されていた旧跡であることが分かり、これを奇縁に感じ、明治16年全生庵を寺号とし、そして、自邸よりかつて江戸城の守り本尊であった葵正観世音の霊像を遷してご本尊とされました。

正式名称全生庵
宗派臨済宗国泰寺派
総本山臨済宗国泰寺
宗祖
本尊葵正観世音菩薩

■ ホームページ
http://www.theway.jp/zen/
おすすめと特徴

三遊亭円朝墓(都指定旧跡)

三遊亭円朝(1839〜1900)は、通称出淵次郎吉といい、天保10年(1839)、湯島切通町に生まれました。
父は初代橘家円太郎(音曲師)で、7歳のとき、小円太と名乗り初高座を務めた後、2代目三遊亭円生の門に入りました。
安政4年(1857)、18歳で真打となり、芝居道具を用いて世話話を講じ、芝居囃(しばいばやし)と言われて大いに名を上げました。
やがて普通の落語に専念し、創作落語の自作自演に新境地を開きました。
明治33年(1900)、下谷車坂の自宅で死去しました。
全生庵には、円朝が収集した諸名家の幽霊図が所蔵されており、毎年8月の1ヶ月間、虫干しを兼ねて供養のため一般公開されます。
墓跡は、三段の台石を据え、山岡鉄舟の筆で、「三遊亭円朝無舌居士」とあります。
  

山岡鉄舟墓(都指定旧跡)

山岡鉄舟(1836〜88)は、幕末、明治時代の剣客で、江戸城開城の功労者です。天保7年(1836)6月10日、江戸本所(墨田区)0に幕臣小野朝右衛門(禄高六百石)の5男として生まれました。
通称は鉄太郎、諱(いみな)は高歩(たかゆき)、鉄舟のほか、一楽斎の号があります。
父の飛騨郡代在任中に高山に招いた井上清虎に一刀流を学びました。父と母の死後、嘉永5年(1852)、江戸に戻り、後に、槍術の師山岡家を継ぎ、文武百般に精通し無刀流を開きました。
幕末の動乱の中で、江戸開城の条件決定や幕臣の鎮撫(ちんぶ)などに尽力しました。西郷・勝会談の下地を作ったことは高く評価されています。
明治21年(1888)7月19日、死去しました。
墓石は、三段の台石を据え、唐破風付(からはふつき)の棹石(さおいし)正面に「全生庵殿鐵舟高歩大居士」とあります。
  

全生庵の設備

 

墓地・霊苑のご案内
墓地・霊苑のご案内

墓地のご案内

・過去の宗派問いません。
・全生庵に入壇して頂くことになります。
・区画の大きさ・場所により永代使用料は異なります。
・見学の際はお気軽に寺務所までお尋ね下さい。
・お申し込みの際は事前にご連絡頂き住職とご面談していただきます。
 
1区画 150万円〜(永代使用料)  維持管理費:不要
 

観音霊苑のご案内

・過去の宗派問いません。
・生前のご予約または親族代表者(施主)の方のお申込みも受付ております。
・ご遺骨は観音霊苑にお納めし50回忌後に散骨いたします。
・ご希望であれば当宗派に帰依しなくとも年忌法要はお受け致します。
・他宗の僧侶が当庵へ来て納骨の儀式を行うことはお断り致します。
 
1霊位 60万円〜(永代使用料)  維持管理費:不要
 

ペット供養塔のご案内

・宗教宗派は問いません。
・火葬し、霊骨となられました後にお寺にご来山ください。
・ご来山頂いた際に本堂にて供養法要を行います。
・供養塔へは散骨となりますので霊骨の返却、移動は致しかねます。
・納骨は春秋彼岸・お盆の年3回行います。それ以外にご来山の方は本堂にて次の納骨日まで安置させていただきます。
 
1霊位 5万円(永代使用料)  維持管理費:不要
 

 

交通案内
  • 所在地:東京都台東区谷中5-4-7
  • 交通アクセス:
    〈電車をご利用の方〉
    ・JR・京成電鉄 日暮里駅より徒歩10分
    ・地下鉄千代田線 千駄木駅より徒歩5分

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